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将棋(しょうぎ)をしよう〜TVゲームなんてもうあきた

DSもアドバンスもおもしろいけど、将棋(しょうぎ)ってカッコイイじゃん。かんじいっぱいおぼえちゃうし。なぜかお父さんがよろこぶし。いっしょに将棋(しょうぎ)しようゼ!

最新記事【2006年09月14日】

◆もんだい
桂(けい)のうごき について ただしい のは どれでしょう?

◆せんたくし
桂(けい)は ほかの 駒(こま)を とびこえて すすめる。
桂(けい)は とぶことが できるから あいての 駒(こま)に 取(と)られる ことがない。
桂(けい)は うしろに すすめる。

◆もんだい
あいての玉(ぎょく)は がんじょうに まもられて います。
どの駒(こま)を もっていれば 勝(か)てる でしょう?

◆せんたくし
飛(ひ)
角(かく)
桂(けい)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


◆かいせつ

桂(けい)は 駒(こま)を とびこえて すすむ ことが できます。
桂(けい)の せいのう を キチンと りかい していれば かんたんな もんだい ですね。

◆もんだい
金(きん)を 1まい もっています。 どこに打(う)てば勝(か)てる でしょう?


◆せんたくし
▲4一金(よん いち きん)
▲5二金(ごー にー きん)
▲4二金(よん にー きん)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


◆かいせつ

4一に 打(う)つと 玉(ぎょく)に 4三に にげられ ちゃいます。(30図)
4二に 打(う)つと 玉(ぎょく)に 打(う)った ばかりの 金(きん)を 取(と)られ ちゃいます。(31図)

◆もんだい
どの駒(こま)を もっていれば 勝(か)てる でしょう?

◆せんたくし
飛(ひ)
金(きん)
銀(ぎん)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


◆かいせつ

飛(ひ)や銀(ぎん)だと 玉(ぎょく)に にげみちを あたえて しまいます。
図(ず)の あかい ぶぶんが 玉(ぎょく)の にげられない ばしょです。

将棋(しょうぎ)の駒(こま)には 王(おう)と玉(ぎょく)が 1まいずつ あります。
駒(こま)の はたらきも うごきかたも まったく おなじものです。
なぜ 2しゅるい あるのでしょう?

これも はじまりは とよとみ ひでよし の わがまま といわれています。
ひでよし が けらいと 将棋(しょうぎ)を さしているとき の ことでした。

「なぜ とのさま である おれと おまえが おなじ 王(おう)を もって おるのじゃ?」
「だいたい けらいの おまえが 王(おう)を なのるなぞ 100ねん はやいわ!」

そういって ひでよしは けらい の 王(おう)に ふでで チョンと いたずらがきを しました。

「はんにんまえの おまえ ごときは 玉(ぎょく)で じゅうぶんじゃ」

このときから将棋(しょうぎ)を さす ときは、えらい ひとが 王(おう)を、
えらくない ほうの ひとが 玉(ぎょく)を もって さすように なりました。

今(いま)の時代(じだい)では、ひとは みんな びょうどうです。
えらい とか えらくない とかは ありません。
将棋(しょうぎ)の つよい ほうが 王(おう)を もつように なりました。

さて、では、はじめての あいてと 将棋(しょうぎ)を さすときは 王(おう)と玉(ぎょく)の どちらを もてば いいのでしょう?
そういうときは あいてより さきに 玉(ぎょく)を もっちゃうのです。
これを “けんきょ” と いいます。
日本人(にほんじん)の うつくしい こころの しょうちょうと いわれる ぶぶんです。

王手(おうて)が かけられて いるのに、にげることもできない。
駒(こま)を 取(と)ることで 王手(おうて)を はずす こともできない。
こういう じょうたいを 詰み(つみ)と いいます。

24図(ず)が 詰み(つみ)の じょうたいです。

25図(ず)のように 王手(おうて)を かける 金(きん)を取(と)っても、そこは歩(ふ)の王手(おうて)が かかる ばしょですね。
つぎの あいての ターンで じぶんの玉(ぎょく)が取(と)られちゃいます。

将棋(しょうぎ)は あいての玉(ぎょく)を 詰(つ)ましたら 勝(か)ち。
じぶんの玉(ぎょく)を 詰(つ)まされたら 負(ま)け です。

22図(ず)は王手(おうて)が かかっている じょうたい です。
玉(ぎょく)は ぼうぎょ しなくては いけません。

ぼうぎょの ほうほうは にげる か 王手(おうて)を かけている 駒(こま)を 取(と)っちゃうか 2つの うち どちらかです。
玉(ぎょく)の うごける ばしょは あかい ぶぶんです。
どこへ にげても 王手(おうて)から にげる ことは できませんね。

ですから 金(きん)を 取(と)っちゃいます。
23図(ず)を みてね。
これで玉(ぎょく)に 王手(おうて)を かける 駒(こま)は いなくなりました。

王手(おうて)というのは そのままだと 玉(ぎょく)もしくは王(おう)が 取(と)られちゃいますよ、という さして の ことです。
20図(ず)では 金(きん)は あかの マス に うごく ことができます。
では どこへ うごけば 王手(おうて)に なるでしょうか?

こたえは 21図(ず)の あおいろ の マスに うごいた ばあいです。
金(きん)は あおいろの どこに いても つぎのターンで 玉(ぎょく)を 取(と)ることができますね。

玉(ぎょく)は 王手(おうて)されたら ぼうぎょ しなくては いけません。
王手(おうて)を みのがして ほかの さして を したら はんそく 負(ま)けに なります。

将棋盤(しょうぎばん)の足(あし)を みたことが ありますか?
花(はな)の つぼみ ような かたちを していますね。
これは くちなし という 花(はな)を デザインした かたちなんです。

なぜ、くちなしの花(はな)なのでしょう?

むかし、えど時代(じだい)の はじめ ころまでは 将棋盤(しょうぎばん)に 足(あし)は ついていません でした。
それまでの将棋盤(しょうぎばん)は ただの 四かく の はこ でした。

あるとき ひとりの おさむらい さんが 将棋(しょうぎ)を さして いました。

おさむらい さんは まだ しょうぶの とちゅうでしたが ほとんど 勝(か)った きもちで いました。
それくらい おさむらい さんの ほうが ゆうせい だったのです。
あいては もう まけそうなので かおが まっかです。

そのとき よこで みていた まちの ひとが 「あ!こうやれば、勝(か)てる」と こえを あげました。
おさむらい さんも その あいても ギョッ!として 将棋盤(しょうぎばん)を もういっかい みました。
たしかに まちの ひとの いうとおり あいての 勝(か)つ ほうほうが ありました。

おさむらい さんの あいては よろこんで まちの ひとが 言(い)った ほうほうで 勝(か)ちました。
おこったのは おさむらい さんです。
なにしろ 勝(か)てたはずの 将棋(しょうぎ)で まけたのですから。

おこった おさむらい さんは よこから 口(くち)を だした まちの ひとを かたなで きって しまいました。

たしかに 口(くち)を だした ひとが わるいです。
だからといって いきなり かたなで きられては あぶなくて 将棋(しょうぎ)を みることも できません。
それからというもの よこから 口(くち)を だしてもらいたくない ひとは 将棋盤(しょぎばん)の よこに めじるしを おくようになりました。

それが くちなしの花(はな)だったのです。
「くちだしはなしよ」という いみですね。

ところが くちなしの花(はな)は どこにでも さいている わけでは ありません。
そこで かんがえだされたのが くちなしの花(はな)の かわりになるもの。
そう、くちなしの花(はな)の かたちをした 将棋盤(しょうぎばん)の 足(あし)だったのです。

みんなも ひとの 将棋(しょうぎ)に 口(くち)を だすのは やめましょうね。
今(いま)の時代(じだい)に おさむらい さんは いませんが、やっぱり だれでも いやなもの ですからね。

将棋(しょうぎ)は 取(と)った駒(こま)を じぶんの駒(こま)として たたかいに ふっきさせる ことができます。
このとき駒(こま)を駒台(こまだい)から将棋盤(しょうぎばん)に おく うごきが 打(う)ちつけるように みえることから 駒(こま)を 打(う)つ といいます。

駒(こま)を 打(う)つときは あいているマスの どこでも じゆうです。
あいての駒(こま)や じぶんの駒(こま)が おいてある ばしょに 駒(こま)を 打(う)つことは できません。

また、てきじん(あいて の じんち)に 駒(こま)を 打(う)っても そのターンでは 成る(なる)ことが できません。
つぎの じぶんの ターンまで またなくては なりません。
じぶんの ターンのときに てきじん(あいて の じんち)に ある 駒(こま)を うごかせば 成る(なる)ことが できます。

ちゅうごく の ペキン や シャンハイ では 将棋(しょうぎ)は 小がっこう の じゅぎょうに とりいれられて います。
ちゅうごく には シャンチー という 将棋(しょうぎ)が あるのにです。
なぜシャンチーではなく 将棋(しょうぎ)が じゅぎょうに とりいれられる のでしょう?

それは将棋(しょうぎ)が 駒(こま)を リサイクルできる ぶんだけ ふくざつな ゲームに なっている からです。
あたまを きたえるには 将棋(しょうぎ)を あそぶのが いちばん。
こういう かんがえかたが ちゅうごくの 小がっこうで じゅぎょうされる りゆう だそうです。

じっさいに 将棋(しょうぎ)の つよい せいとは さんすうや こくごの せいせきも いいらしいです。
そのせいでしょうか、なんと、シャンハイには 将棋(しょうぎ)の じゅくも あります。

なぜ、日本(にほん)の将棋(しょうぎ)だけが 駒(こま)を 打(う)てるように なったのでしょう?
おおくの れきしの けんきゅうしゃたちが この なぞを けんきゅうしています。
そのなかで たぶん ただしいと いわれている せつめいを しょうかいします。

むかし、日本(にほん)に とよとみひでよし という とのさまが いました。
ひでよし は 将棋(しょうぎ)が 大すきでした。
でも ひでよし は まけることも きらいでした。

あるとき ひでよし は 将棋(しょうぎ)を けらい と していて まけそうに なりました。
ひでよし は けらい なんかに ぜったい まけたくありません でした。

そのとき ひらめいたのです。
さっき 取(と)った この駒(こま)が じぶんの 駒(こま) だったら 勝(か)てる!ってね。

取(と)った駒(こま)は ほりょ なんだから じぶんの すきに したって いいじゃん!
将棋(しょうぎ)の あいては ひでよし の けらい です。
とのさまである ひでよし に さからえる わけがありません。

いつしか 将棋(しょうぎ)は 取(と)った駒(こま)を リサイクルできる というのが ルールに なってしまいました。

せかいの将棋(しょうぎ)には チェスやシャンチーがあります。
すべて日本(にほん)の将棋(しょうぎ)とは きょうだい ですが、
日本(にほん)の将棋(しょうぎ)には せかいの将棋(しょうぎ)に ない おおきな とくちょうが あります。

それは取(と)った駒(こま)を じぶんの駒(こま)として つかえる ということです。
リサイクルという かんがえかたが しっかりしている 今(いま)の時代(じだい)なら あたりまえでしょう。
ですが、おおむかしの時代(じだい)には もう一かい つかえる という かんがえは なかったようです。

駒(こま)が 打(う)てる 将棋(しょうぎ)は日本(にほん)だけの ものです。
これが将棋(しょうぎ)の おおきな とくちょうです。

将棋(しょうぎ)は インドから つたわった といわれています。
インドのチャトランガという ゲームが 将棋(しょうぎ)の もとになった ゲームです。

このチャトランガが インドから 西(にし)の ヨーロッパに つたわって チェスに なりました。
はんたいに 東(ひがし)がわの 日本(にほん)に つたわって 将棋(しょうぎ)に なったのです。

日本(にほん)に つたわるまで チャトランガは いろいろな くにで あそばれました。
タイおうこく の マークルック。
ちゅうごく の シャンチー。
かんこく の チャンギ。
これらは すべて 将棋(しょうぎ)の きょうだい です。

もちろん チェスも 将棋(しょうぎ)の きょうだい です。

じぶんの駒(こま)の しんろに あいての駒(こま)が いるばあい、
この じゃまな あいての 駒(こま)を 取る(とる)ことが できます。

あいての駒(こま)を 取る(とる)ときは 取った(とった)駒(こま)を 駒台(こまだい)に のせます。

駒台(こまだい)が ないばあいは 将棋盤(しょうぎばん)の みぎよこに キチンと あいてから みえる ように 駒(こま)を おきましょう。